聖週間の心の持ち方について
― キリストの過越の神秘を思い巡らす ―


導入
「キリストの過越」とは、イエス・キリストが御受難と死を過ぎ越して御復活なさったという一連の出来事を指します。この歴史的な出来事は神がなさった世の救いの神秘です。イエス・キリストの御受難は、私たちの罪の赦しのための贖いの業であり、死に至るまで罪人の私たちに対する神の最大の愛のしるしです。御復活は、十字架上でのキリストの愛の勝利であり、悪魔と罪を及ぼした罪に対する勝利です。御復活なさったキリストに結ばれた者は、キリストの復活の命に与るのだから、世の救いの完成です。
キリストが制定された七つの秘跡は、世々にわたって教会の中で執行されることによって、私たちは過越の神秘に与るしるしと成ります。洗礼の秘跡を受けた時に私たちはキリストの御復活の命に与り、そして御聖体の秘跡を拝領することによって、地上の旅の中で御復活の命を養っていきます。
聖週間、特に聖なる過越の三日間は歴史上、キリストが2千年前に成し遂げた過越の神秘を現代、私たちの生きる場で典礼の中で、キリストのエルサレム入場から御復活の聖なる復活徹夜祭まで(今年は3月29日~4月8日)再現します。その毎日の典礼を以下の通りに振り返るようにしました。
受難の主日(枝の主日)
受難の主日の典礼は枝の行列から始まり、「キリストのエルサレム入城」の祝いに続き献げるミサの典礼は、キリストの御受難に焦点を合わせます。
2000年前にキリストを信じたユダヤ人たちなどは、イエスが自分たちの国王になることを望み、棕櫚の葉を振りかざして、来るキリストを、ホザンナ(お救いください!)の叫び声をあげてエルサレムで迎えました。イエスは、救いを請い求める民の心を受け入れていたが、神の御心に従って、地上の王になるのではなく、すべての人を救うために神の国の「王位」を目指します。即ち、悪魔に打ち勝ち、人の罪を取り除いて、人類に永遠の命を与えるという神の救いを実現するのです。
民の思う通りにしないキリストに多くの人がつまずき、イエス・キリストを裏切り、ローマ総督の前に「十字架に付けろ」と叫ぶようになりました。御受難のキリストは、神の愛を持って、その民の侮辱とすべての人の罪を担って、十字架上での御自分の死によって罪を滅ぼしました。これこそは、神がお望みになったキリストの王としての愛の勝利です。
現代、枝の行列の典礼を行う私たちは、2000年前と同じように、祝福された枝を手に持ってキリストを出迎え、「ホザンナ」の賛歌を歌います。しかし、これに続くミサの「受難の朗読」は、自己中心的な思いに執着することによって、私たちも度々キリストを裏切ったことを反省させるのです。そのしるしとして御受難の朗読の中で、私たちは2000年前の群衆に声を合わせ、「十字架に付けろ」と叫びます。この典礼の中では、罪を犯したにもかかわらず、イエスが十字架の死に至るまで私たちを愛し抜かれたことを自分たちの心に留めるようにします。
受難の月曜日
受難の月曜日は、死者の中から蘇えらせたラザロの家にイエスが訪れたという福音の出来事に注目します。それは、ラザロの姉妹マリアがイエスに対する愛のゆえに、高級な香油を準備し、イエスの足に塗り、自分の髪で拭ったという出来事です。イスカリオテのユダは、彼女を非難し、香油を売って、そのお金を貧しい人に施した方が良かったと注意します。ユダは、貧しい人を大切にしたいのではなく、お金を中心に生きる人でした。その心の持ちかたは、イエスを裏切る罪と滅びに導きました。
塗油によって限りない愛を表現したマリアの行為を、イエス・キリストは誉めました。その愛は彼女を、イエス・キリストの御復活の喜びに導きました。したがって、教会の典礼は、私たちがキリストを中心にして生きるように招き、キリストを愛することによって御復活の喜びに達することに導きます。
受難の火曜日
受難の火曜日の典礼は、最後の晩餐の時に起こったユダの裏切りとペトロの裏切りの予告を紹介します。イエス・キリストは、なぜユダとペトロの裏切りを止めなかった、と考えさせられます。イエスは、人間が自分の力で罪に打ち勝つことができず、神の力なしに何もできないと教えます。そして、キリストの愛に応えようとするかどうかは、私たちの自由な意志に任せます。典礼は、ユダのような悪意が人を滅びへ、また、自分の力だけに頼るペトロのような信仰は、つまずきへと導くことを教えます。そして、キリストに立ち戻る回心は、人を救いに導くと促します。
受難の水曜日
受難の水曜日の典礼は、ユダが祭司長たちの所に行って、銀貨三十枚でイエス・キリストを引き渡す約束を思い起こします。すべてを知っておられるイエス・キリストは、弟子たちに、「あなたたちのうちの一人が私を裏切ろうとする」と言われました。自信を失った弟子たちは、裏切り者が自分のことではないかと、心の中で不安を抱くようになりました。この典礼は、私たちが罪を犯すことは、キリストの愛の裏切ることであると教えます。同時に、恐れは私たちをキリストから遠ざけるので、キリストと一つになる信頼関係を勧めます。
聖木曜日
*聖香油ミサ:聖木曜日の午前(あるいは前日)、司教座聖堂で司教は司祭団と共に聖香油ミサを献げます。その中では、司祭叙階のため、また各教会で行われる洗礼と堅信の秘跡に用いられる聖香油が聖別され、また洗礼志願者の油と病者の油が祝別されます。
*主の晩餐の夕べのミサ:このミサから聖なる過越の三日間が始まります。最後の晩餐の時にイエス・キリストは、御自分の死と復活を記念する聖体の秘跡を、そして、世の終わりまで秘跡を授けるために新約の司祭職を制定しました。最後の晩餐の始めに、イエス・キリストは弟子たちの足を洗います。使徒ペトロは、イエス・キリストにそれをお断りしようとしたが、イエスは、「もし私があなたの足を洗わないのなら、あなたは私と何の関りもないことになる」と答えられました。こうして聖木曜日の典礼は、ご聖体の内にキリストと一つに結ばれる私たちがキリストのように謙(へりくだ)り、神と人を愛して自分を捧げ尽くすことに招くのです。
*最後の晩餐という最初のミサの記念は、キリストの十字架上の死と復活に意味があるので、終わらないままで、引き続きに御聖体が聖堂の外にある安置所に運ばれます。それは、イエスが最後の晩餐の終わりにオリーブの園に移動し、受けようとする受難のために悶え苦しながら、最後まで御心を行うように祈ったことを思い起こします。
イエスは弟子たちにも共に祈ることを願ったが、彼らは眠り、またイエス・キリストが逮捕された時に、彼らは逃げ去りました。したがって、教会はこの夜、私たちにイエス・キリストを一人にしないように、しばらくの間に安置所でお祈りすることを勧めます。
聖金曜日
聖金曜日は、イエス・キリストが正午、十字架にかけられ、午後3時頃亡くなられたことを記念する日です。限りない慈しみを持って私たちの罪の贖いとして御受難を受けたキリストに心を向けるために、教会はこの日に大斎・小斎を守るように指示します。そして、夕方には「主の受難の祭儀」を行います。キリストの御受難を黙想して、すべての人の救いを願ってから、私たちは十字架に磔(はりつけ)られたキリストを礼拝します。
聖土曜日
*聖土曜日は、ユダヤ人の安息日にあたり、墓の中で葬られたキリストが安息なさったことを思い起こします。教会ではあらゆる典礼や式はすべて、禁じられています。
*日没の後、キリストが御復活のなさったことを夜通しに祝う「復活の聖なる徹夜祭」という最も聖であり、最大なカトリック祭儀を行います。始めに行なわれる「光の祭儀」は、キリストの御復活が新しい世界創造であることを示します。復活の命を頂くために洗礼の典礼があり、また信者の洗礼約束の更新を行います。私たちが新しく生まれ、神の子どもとして自分たちの信仰の喜びを頂点に至るようにし、最も荘厳に「栄光の賛歌」と「御復活のアレルヤ」を歌います。御ミサの最後に荘厳な祝福で、聖なる過越の三日間を終了します。
主任司祭 ジエブーラ・エウゲニウスより
四旬節の典礼を生きるため


導入
教会の典礼暦に従えば、2月18日、灰の水曜日から四旬節が始まります。そして、御受難の主日(枝の主日)まで40日間続きます。教会の典礼は、人間のために神がなさった業を執行します。この時期の典礼は、イエス・キリストがエルサレムに上って行くこと、そして私たちの救いのためにご受難を受けたことを思い起こします。
四旬節の典礼を生きるならば、霊的な意味で私たちもキリストと共にエルサレムに歩み、御受難に参与するのです。こうして私たちは四旬節に、キリストの救いの言葉を心に留めて生き、彼の受けた傷によって、傷つけられた自分たちの心が癒されます。
教会は私たちに回心して赦しの秘跡を受けること、十字架の道行を行ってキリストの愛を体験すること、キリストの愛に応えて善業に励むように勧めます。
四旬節の精神の理解を助けるため、灰の水曜日と四旬節の五つの主日のテーマを紹介します。
灰の水曜日
灰の水曜日は、「回心」をテーマにします。
日常の罪や人生の思い煩いによって神の道からそれた私たちは、自分たちがもともと誰であるか、再発見するために額に灰を受けます。創世記が人間の創造について語っているように、神は土の塵を御手にして人を造り、御自身の息吹によって生かされたので、人は神の似姿となって生きるようになりました。しかし、罪によって神の御手から逃げ出す人間は、神の息吹から離れてしまうと、「土の塵」に過ぎません。四旬節の典礼は、額に灰を受けさせることで、その事実を実感させ、命の源である神に立ち戻るように促します。
灰の水曜日の福音の中でキリストは私たちに、善行、祈り、断食を勧めます。その言葉に応えて教会は、灰の水曜日に大斎・小斎を守ることを信者(18歳~65歳)の義務とします。大斎は、基本的に一日に一食だけを取ることであるが、各自の必要に応じて他に僅かな食が許されています。小斎は、肉や栄養豊かな食事を取らないことです。キリストは、善行、祈り、断食を形式的に行わないように注意します。善行は神と人に対する無償の愛の奉仕で、祈りは神と親密な関係を作ることで、節制は欲望と誘惑に打ち勝つためでなければなりません。
四旬節第1主日
第1の主日は、「悪霊の拒否」をテーマにします。
主日の福音は、イエス様が洗礼を受けた後に荒れ野に行き、四十日四十夜にわたって祈りと断食を実施したことを知らせます。祈りと断食は悪魔から受けた誘惑に打ち勝つ力となることを教えてくださいました。信仰の歩みの中で悪霊とあらゆる悪を退けるために、人間は生涯、神の御心に敵うことのみを行う模範を示してくださいました。
四旬節第2主日
第2主日は、「キリストと共に歩むこと」をテーマにします。
主日の福音は、「主の変容」の出来事を紹介します。主の変容の時に、御父は弟子たちに、「これは、私の愛する子、彼に聴け」と命令します。キリストの姿が神の栄光に輝くものに変わった出来事は、キリストに聴き従う私たちも主の栄光の姿に変えられる約束を含めています。
四旬節第3主日
第3主日は、「生ける水」をテーマにします。
主日の福音は、ヤコブの井戸でサマリアの女に出会ったイエスが、彼女に永遠の命をもたらす水を約束によって回心へと導かれました。「生ける水」は、私たちに洗礼を思い起こします。即ち、罪からの清め、聖霊の注ぎによって永遠の命に与る恵みを確認すること、生涯を通して、イエス・キリストを「渇き求める」必要性を教えます。
四旬節第4主日
第4主日は、「神の光」をテーマにします。
神は光であり、世界のすべての創造は光から始まりました。イエス・キリストはこの世に来られたみ言葉の光です。
主日の福音は、イエスが目の見えない人の視力を回復させる奇跡の出来事を紹介します。その際、キリストは多くの人の心の目が開いて神の救いを見出すように招いてくださいます。洗礼式の時も私たちは、「キリストの光を」を受け、光の子となり、罪の暗闇の中でさ迷うことなく、いつもキリストを見つめて、主の道を歩み続けるように、主が私たちの心の目を開いてくださるように願います。
四旬節第5主日
第5主日は、「復活」をテーマにします。
主日の福音は、キリストが死んだラザロを墓から呼び起こされた出来事を紹介します。それは、キリストの御復活の神秘の理解を助けるためです。キリストの復活は抽象的な事柄ではなく、現実です。キリストと一つに結ばれてこの世を去る私たちは、キリストの死に与るが、終わりの日に復活することを教えます。この地上においても、私たちはキリストと一つに結ばれて、復活の命を生きるように招かれています。
結び
四旬節の典礼は、私たちに洗礼の意義を実感させます。
洗礼と他の秘跡によってキリスト者となった私たちは、悪魔のいざないを退けて、神の義に飢え渇き、キリストの栄光を目指します。生ける水によって私たちは、清められて永遠の命を受け、心の目を開いてもらって主の道を歩み、キリストの御復活を自分の身に負うのです。今年の四旬節の典礼によって、私たち皆が神の愛と命で満たされますように。
主任司祭 ジエブーラ・エウゲニウスより


ジエブーラ神父の『希望の巡礼者』
ポーランドの巡礼(2025年7月14日~22日)
カトリック教会の聖年にあたり、株式会社トラベリオの主催でポーランドでの巡礼が計画されて、私(ジエブーラ神父)は同行司祭として参加させていただきました。日本の全国から募集された18名の信徒、添乗員の徳矢 貢一、ポーランドのガイドとバス運転手を合わせて22名で行動しました。ついでにポーランドの首都ワルシャワと古代都クラクフの観光地で王宮やお城などを見物できましたが、旅の中心は、聖年の精神に沿ってポーランドの聖なる場を知るようになり、「希望の巡礼者」として祈り、秘跡の内に神に出会うことでした。
ニエポカッラヌフ、聖マクシミリアノ・コルベの修道院
2025年7月16日に、ワルシャワ圏にあるニエポカッラヌフ、聖母の騎士の修道院へ巡礼しました。そこでは、戦争の前に聖マクシミリアノ・マリア・コルベとともに約600人のフランシスコ・コンヴェンツアル会員(司祭と修道士)が修道生活を送っていました。

無原罪の聖母の騎士のバジリカ
聖マクシミリアノ・マリア・コルベは、1930~1936年に日本での福音宣教を行い、長崎の聖母の騎士の修道院を設立しました。第二次世界大戦中にドイツのゲシュタポにより逮捕され、アウシュヴィッツ強制収容所(ポーランドの南)に送られました。子供を持つ父親(ガイオニチェク氏)が餓死刑に処せられた時に、コルベ神父は進み出て、「私が彼の身代わりなります」と言って餓死室に送られました。こうしてコルベ神父は1941年8月14殉教し、1971年に列福され、1982年に列聖されました。
以下の小聖堂は、聖マキシミリアノが戦争前に利用した祈りの場です。日本から来た巡礼者一同はここで聖マキシミラノ・コルベの殉教を記念する御ミサを献げました。

アウシュヴィッツ強制収容所の正門

聖マクシミリアノ・コルベが
自分の命を捧げた餓死室

イエスは仰せになった。
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)
チェンストホヴァ (黒い聖母修道院)


2025年7月17日には、チェンストホヴァのヤスナ・グラの聖母マリアの聖地に巡礼しました。1382年にヤスナ・グラ修道院に「黒いマドンナ」と言われている、奇跡を起こす不思議なイコンが設置されました。その時から次第にチェンストホヴァはポーランドの巡礼の中心地となりました。数多くの戦争に直面されたポーランドは自分の信仰とアイデンティティを守り抜いたのはチェンストホヴァの聖母のお陰です。したがって黒いマドンナは、ポーランドの女王と呼ばれます。世界中からの巡礼者たちは、肉体的な癒しだけでなく、霊的に守り、精神的な支え、人生の道を求め、心の癒しを求めます。多くの祈りが聴き入れられる聖母マリアは善い母親として崇敬され愛されています。修復ができない聖母のお顔にある刀の傷跡は、母マリアは自分の子どもの苦しみを知り、その苦難を心に納めてくださる象徴となりました。
故郷のストルミエニ教会とヴィスワ・マワ
同じ日、7月17日の夕方、私(ジエブーラ神父)の故郷に訪れました。私はヴィスワ・マワ村で生まれ、洗礼を受けたものです。現在、隣の町に住む姉の教会ストルミエニでお世話になっています。そこにある聖バルバラのサンクチュアリ大聖堂は、私たちの巡礼の一つの目的となりました。この地方が昔から炭鉱と重工業で知られているので、教会の保護聖人は、鉱夫と鍛冶屋の保護者、聖バルバラです。火の危険や突然死から護る聖人として知られています。その聖堂で聖バルバラの聖遺骨が顕示される中で、日本語で御ミサを献げましたが、多くのストルミエニの信者も共に祈りました。
クラクフの城ヴァヴェルと聖マリアの大聖堂
7月18日(金)にポーランドの古代都クラクフを見物しました。その中でヴァヴェルの聖スタニスラオ司教殉教者のカテドラルでした。その聖堂では昔、ポーランド国王の戴冠式が行われた場です。聖スタニスラオが、時の国王ボレスラフ二世の不倫をいさめると、王は1079年5月8日に司教が聖堂でミサを献げているところを、自ら司教を斬り殺しました。私、巡礼者はこの殉教の証しを思い起こしました。
その後日には、優雅を極めた聖マリア教会を訪問しました。
ヴァドヴィツエ巡礼(聖ヨハネ・パウロ二世の洗礼教会)
7月19日に巡礼は、クラクフから50km離れる教皇ヨハネ・パウロ2世の故郷ヴァドヴィツェに向かいました。それは、聖人となったポーランド教皇の家族の家を訪問することでした。現在、博物館となった聖ヨハネ・パウロ2世の家族の家を探索し、過去に戻って教皇がどのように暮らしていたか、戦争中に司祭への困難な道、教皇の位に至った試練の中で聖人の心を眺めることができました。
クラクフのワギエヴニキ(聖ファウスティナの修道院)
7月19日の午後、私たちの巡礼は、聖ファウスチナ・コヴァルスカの聖地、ワギエヴニキに足を延ばし、聖女に現れた御心のイエス・キリストの修道院で記念ミサを献げました。その修道院で主イエスは、聖ファウスティナに、「神のいつくしみのチャプレット(花の冠)」を教え、御自分のご復活の姿を描くように指示しました。「イエスよ、あなたに信頼します」と記入するように求めました。それによって、神の慈しみへの礼拝は全世界に広めるようになったのです。
ヴィエリチカ岩塩坑(地下聖堂)
クラクフから15km離れたヴィエリチカ町には、地下に巨大な岩塩があり、800年3000年前から食塩を取り、13世紀から世界の一番大きい岩塩坑となり、命がけに多くの人のために死を採掘しました。塩は食物の味を付け、腐敗から守って保存します。物を清めて、傷を消毒し、喘息を治療します。昔は黄金よりも大切にされていました。塩を取った空間に岩塩から聖堂、聖像が多く作られており、祈りの場となりました。聖キンガの大聖堂が一番有名です。
この度に、巡礼者たちとともに地下の140mにあった塩のチャペルで御ミサを献げました。塩は人を生かす尊い役割を果たすために、身を削って、物に溶け込み、自分を空にします。巨大の岩塩の真ん中に塩の後、聖なる空間で御ミサを献げることは意味深いものを伝えています。特にイエス・キリストの山上で語られた言葉、「あなた方は地の塩である」と。

主任司祭
ジエブーラ・エウゲニウス(SVD)

主任司祭
ジエブーラ・エウゲニウス(SVD)